心のよりどころ
縁起
田嶋山迎接院(こうじょういん)は浄土宗のお寺です。
江戸時代初期の寛文元年(1661年)、
徳川家康の命令で小田原から移転してきた
田嶋山快楽院誓願寺の塔中の一つとして
江戸浅草に建立されました。
開山は清蓮社久譽上人接阿浄可和尚、
開基は迎接院秀譽浄閑覚翁居士です。
山号は徳川家康の命名と伝えられ、
寺院名は開基の法名に冠された院号が由来しています。
江戸時代は幾多の災害にも見舞われ、
その都度復興しますが、
大正十二年(1923年)の関東大震災にて
壊滅的な被害に遭い、昭和二年(1927年)に
現在の練馬に移転されました。
山門は空門、無相門、無作門の三解脱門のことで、本来は三門と書きます。この三つの門を通ってやがて彼岸に至る、仏門の最初の入り口です。平成二十一年(2009年)、迎接院開山三百五十年記念事業として、奈良県吉野の樹齢三百年の檜を使用して落慶されました。
境内は「練馬の小京都」とも呼ばれ、モミジ等の樹木から放たれる自然の癒しを感じることができます。
本堂・客殿は平成元年(1989年)に落慶されました。本堂入口の正面に掲げられている「迎接院」の額は、当時の大本山増上寺法主(後に総本山知恩院門主)中村康隆台下による揮毫です。
大正大学在学中に大本山増上寺にて伝宗伝戒道場を満行。卒業後は大正大学大学院にて仏教学修士を取得。修了後は学校法人大正大学にて14年間奉職。平成30年に迎接院第19世住職に就任。

第18世住職。昭和60年から平成30年の32年間、住職を務める。平成元年には本堂・庫裏を落慶、平成21年には迎接院開山350年記念事業として山門落慶に尽力。平成年、浄土宗から中興号を授与。

教え
仏教とは、今から約2500年前にインドで悟りをひらかれたお釈迦さまの教えです。その教えとは、すべての人が苦しみや迷いから離れ、心のやすらぎを得て、幸せになることが説かれています。人は必ず死に至ります。その死はいつ訪れるか分かりません。いつ訪れるか分からない死を迎えるまでの間、我々は思い通りにならない「この世」を生きていかなくてはいけません。その限られた人生において、少しでも苦しみや悩みを手放して心穏やかな状態を保つ。大切な方々とのひと時を惜しみながら大事に過ごす。そして、自分が定めた人生の目標に向かって日々生き生きと精進する。そのような幸せな人生を送るために、お釈迦さまの具体的な教えがあります。自らの心を整えて智慧を育てること。生きとし生けるすべての命を思いやる慈悲の心を育てること。これこそが仏教の教えとなります。この教えを人々に伝えていくためにお寺が存在しています。お寺とつながり、仏さまとつながることを「縁」と呼びます。家族や地域を超えた縁を広げていくことができるならば、多くの人々の心の中にお寺が拠り所として築かれていくことでしょう。
年中行事
年中行事
彼岸会
「彼岸」とは「彼の岸」と書くように私達の住む「此岸」と相対する極楽浄土を意味します。『観無量寿経』というお経には、「日想観」といって、夕陽を見つめ、その先にある極楽浄土を思い浮かべる修行方法が説かれます。その修行に最も適しているのが、太陽が真西に沈む春分の日であることから、この時期にご先祖様を供養する行事として定着しました。皆様とご一緒に、今日ある自分を感謝する機会となるよう法要をお勤めいたします。
施餓鬼会
「餓鬼」とは、物惜しみや嫉妬などの行いの報いとして、餓えに苦しむ世界に堕ちてしまった衆生のことです。苦しみにあえぐ餓鬼たちに食べ物などを施し、苦しみから離れて極楽浄土に往生することを願います。また、我々の心の中にもたくさんのお蔭があることを忘れ、自分一人で生きていると錯覚する狭心があります。それを「心の餓鬼」といいます。施餓鬼は、そのような狭い心を開き「心の餓鬼」を救う法要でもあります。
盂蘭盆会(棚経)
お盆の起源は『盂蘭盆経』という経典に記されており、お釈迦さまの弟子目連尊者と、餓鬼道に堕ちた目連尊者の母親の逸話にさかのぼります。お釈迦さまは母親を救う方法を求める目連尊者に「僧たちが夏の修行を終える七月十五日に、彼らに食べ物や飲み物を献じれば、その功徳により汝の母を救うことができよう」と説かれました。これが日本の先祖供養の信仰と結びつき、七月または月遅れの八月に行事として行われるようになりました。
墓地・永代供養
骨壷を個別にして墓内に安置しご供養いたします。ご希望の年回忌をお迎えした後は、骨壷からお骨を取り出し、墓内地面に埋葬いたします。
骨壷からお骨を取り出し、永代供養墓内の地面に埋葬いたします。
アクセス
都営大江戸線豊島園駅より徒歩1分、西武池袋線豊島園駅より徒歩3分